私は強度の近視です。裸眼で周囲を見渡してみるとモノの輪郭はぼやけ、それぞれの関係は浸透しあっています。もしもこうした視覚機能が人類共通の標準能力だったとしたら、今私たちにとって当たり前になっている事柄もまた違った様相を示してくるかもしれません。例えば戦争なども今のような形にはならなかったかもしれないし、あるいは戦争そのものが成立しなかったかもしれないのです。なぜならお互いの物事の存在が浸透しあって地続きであれば、そこには対立関係ではなく共存関係を施行しなければ成り立たないような必然が生まれる可能性が出てくるからです。そこでは部分と全体の認識も極度な相対関係に陥ることもなく、ましてや主従関係のような歪なものも発生しにくくなってきます。ただしこれまでの自他の分離を基盤とする存在把握の方法論に慣れてしまっている私たちには、存在領域の不明確化はかなり意識的な努力を強いるものになるのかもしれません。でも今の私にとってはこうした新しい認識の道筋の発見はこれからの生き方に確実な豊かさを提供してくれています。それはまさにメガネをかけて矯正された世界を見ていたのが、そのまま裸眼になってもう一度世界を改めて眺めてみることとよく似ています。世界を裸眼で直接触れているようなそうした爽快感が今の私の心情になっていて、もちろんそのことが私の絵画に何らかの影響を及ぼしていることはほぼ間違いがないことでしょう。

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