デザインとアートの間には共通する現象が目についてきて、特に最近はそうした視点から捉えようとする傾向があるように思います。それは現在の社会体制の中で芸術をどう捉えるかということに繋がっているはずで、特に最近の美術マーケットの趨勢がそうした印象を強めているに違いありません。
では今のこの時点で両者の間には共有する世界観の中で成立が果たされているものなのかを考えてみることはまことに時期を得た話題であるかと思います。
ということでまずはデザインについてなのですが、デザインは前提として「課題となる設問」などの要請がなければ始動ができないような構造を持っていて、そしてそうした課題を解決するための方法論として機能するものだということを、まずはこの本質を押さえておかなくてはなりません。そこで発生する課題はデザイナーの内にあるものや社会の側にあるものなど種々なものが考えられて、そうした課題を責務感を持って解決しようとすることがデザインという作業になります。そしてこのデザインという解決方法は他の手段に比べて実に優れた能力があって、例えば社会的問題を政治的手法によって解決できない時、あるいは科学的思考で対処しようとしてもうまくいかない時など、こうした場合にこそデザインという柔軟な方法論で解決を図れる可能性が出てくるのです。その裏付けには、論理的な矛盾を前にしても多様な人間の情緒や感性、さらには美意識などの価値観を動員できることで硬い論理性を超えた整合を見出し得るというウルトラ技が使えるということが考えられます。だから複雑な社会的問題であればあるほどデザインによる解決策は思いのほか有効で広がりと力を持っています。ただしデザインはそうした解決策を見出した時点で初めてその成果が顕現することになっていて、言うなれば解決策とデザインは同価のものであることを忘れてはなりません。 従ってデザインは疑問を呈するだけでは仕事としては不充分で解決案を提示できるまでは創作として完結していることにはならないのです。
それに対してアートは人が持つ社会的な表現方法としては最も自由なもので、またそうでなければその存在価値がないとみなされ得るものだと考えられます。ですから社会が持つ制度や倫理、利便性や価値観からも本質的には逸脱ができて自由であるはずのもので、考えてみればそうした領域が社会にあるということ自体が人間にとって反省的で自浄的です。人間は多くの拘束されたものの中で生きていかなくてはならない存在ですが、できるならその拘束要素が少ければ少ないほど直接性が増し本質的な問題にアクセスすることがより容易になって、それが自由がもたらす恩恵だと考えられます。そうした可能性にあふれた場所こそアートの世界だと理解しようとすることがアートの発生の機動力になります。そのことをどこかで信じない限りアートの存在は実体化されないようになっていて、だからそこにはデザインと比べれば表現上拘束される要素は少なく思えて、たとえ「解決を求めない疑問を呈するだけの作品」であったとしても表現として認められる場所が充全に確保されていることにも繋がっているのです。さらに驚くべきことにそうしたアートの自由さは、デザインが持っている「解決を責務とする表現姿勢」さえも表現形式の一環として含有しようとしますから、いわばどのような表現形式に対しても自由で開かれた場であるということを徹底して確保しようとするのです。
こうして考えてくるとやはり両者の間に横たわってくるのは「自由」をどう扱うかという問題に突き当たります。これはデザインよりもアートの方がより切実な問題で今の社会の中で表現をするということが何なのかを自問しています。デザインは自問するというよりも外側の問題に目を向けることでその力を発揮しますが、アートは自身に対しても厳しく内省的に考えようとして、ここに両者の質の違いが際立って見えてくるように思うのです。

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